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社長インタビュー

創業のきっかけを教えて下さい。

私の友人が鉄筋技術者をやっていたので、友人に誘われて鉄筋工の仕事を始めました。当初は親方のところで仕事を覚えつつ、仕事をこなしていたのですが、そこから下請けとして昭和61年に一緒に働いていた仲間10数名と独立をしました。

どのようにして会社の業績を伸ばしていったのですか?

当初は鉄筋会社の2次下請けだったのですが、昭和63年に千葉の大佐倉に加工場を建設したのが、飛躍のきっかけになりました。ゼネコンさんから直接仕事をもらう一次事業者になるために、加工場が必要だったので、この加工場の建設を当初から目標にしていました。
今でこそ、加工センターがありますから、加工場を持つ必要性は低くなりましたが、当時は材料を預かって加工して、現場に持ち込んで施工するという業務スタイルでしたので、一次事業者になるのには加工場が必要だったのです。
加工場は、大佐倉から印西を経て、平成8年に千葉の八街に加工場を建設しました。
また、加工場を建設したのが、昭和63年でちょうどバブル経済が始まる頃で、経済が登り調子になることも味方して、事業を大きくしていくことが出来ました。

逆にバブル期を過ぎた後の辛い時期もありましたか?

2008年くらいが会社として厳しい時期で単価は下がったのですが、仕事の量はそれほど変わりませんでした。

鉄筋事業者として心掛けていることを教えて下さい。

鉄筋事業者としては当たり前のことなのですが、「安全」、「品質」、「低コスト」を心掛けています。この当たり前のことは、現場毎に違うのです。そこは柔軟に知恵を働かして、試行錯誤を繰り返し、小さいことを積み重ねて行くことを心掛けています。

他社との差別化は、どのように図っていますか?

先程も、述べましたが「安全」「品質」「低コスト」を現場毎に知恵を働かし、試行錯誤をする中に、他社とは違う会社になって行くのであると思っています。それらの積み重ねが他社には真似の出来ない会社になっていくのであり、一朝一夕で他社との差別化は難しいと思います。

労働人口が減少する中で、建設業が他産業と競いながら若手人材を確保するためには、どのようにしたらでしょうか?

建設技術者の高齢化の問題、外国人材の活用等、建設業界は変革の時代を迎えています。これまで社会保険の加入率が100%でなかったところを是正指導するとか、法律通りにやってこなかった業界が本格的に変革に取り組んでいます。国交省主導のキャリアアップシステムの施行もその一つです。
(国土交通省 建設キャリアアップシステム)
http://www.mlit.go.jp/totikensangyo/const/totikensangyo_const_fr2_000033.html

外国人材の活用も30年も前からあったのですが、人材不足、労働人口減少という背景があって、国も本腰を入れ出したという形です。
そういう国や業界の取り組みの流れに乗り、当社も人材の確保と人材の教育につとめて行くということになるのですが、人材教育というのは難しくて、仕事を覚えたら、辞めちゃうということの繰り返しなのです。だから、仕事に積極的に取り組む人間を、資格取得支援や独立支援という形でドンドン支援していくことを考えています。

どのようにして積極的な人材を確保しようと思っていますか。

「働き易い環境の提供」ということになると思うのですが、難しいのは「働き易い」ということが人それぞれに違うということなのです。福利厚生の一貫として、焼き肉大会や旅行をやって喜ぶ人間がいると思えば、全く喜ばない人間もいる。そういうイベントを含めて、今は試行錯誤の連続です。

但し、建設業界は労働者としては展望が拓けている業種であると思います。当社は建設業の中でも鉄筋加工業ですが、国の外国人材の教育制度もありますので、その制度に則った形で外国人技能者を育てて、外国人材も日本国に定住出来るという形で育てて行きたいと思いっています。

また、日本人の若い人には鉄筋技術者というのは、体力的には厳しい仕事ですが、本人の努力次第で資格の取得も、独立も可能であるので、大きな展望が開けていると思います。

一緒に鉄筋の仕事をやってみませんか?